防災・減災への指針 一人一話

2013年10月07日
住民との情報共有に貢献できる「総合案内」の重要性
多賀城市役所 議会事務局
伊藤 敏明さん

水の備蓄の大切さ

(聞き手)
 東日本大震災以前に、何か他の災害を経験したことはありますか。

(伊藤様)
チリ地震が起きたとき、私は小学校1年生で、あの津波ははっきりと見ていました。その当時、塩竈の市内に行った際に、店舗に船が突き刺さっているような状況を実際に見て、まだ小さいながらに大変だと思いました。しかし私の自宅は高台にあったため被害がなく、津波への備えというのは特にありませんでした。ですが、防災上の最低限の対策として、自宅には井戸水もありました。飲み水も常に冷蔵庫には確保していたという備えはしていました。
今回の東日本大震災ではしばらく自宅に戻れなかったのですが、たまに着替えなどを取りに帰宅した際に、息子などが近所に井戸水を配っていました。飲み水にはできないのですが、トイレの水として使用するなどの用途で一生懸命配っていたようでした。そのため井戸があってよかったと実感しました。また、どこも水がなかったため、自宅に帰って井戸水で頭を洗っていました。水の重要さというのは今回の経験で痛感しました。
震災があった3月の初めに、私の家では550リットルのエコキュートを入れていたため、電気が止まって本来の使用はできなかったものの、エコキュートから飲み水は確保できました。しかしそれもすぐに使い切ってしまうため、結局は給水車に並んでもらってきました

市民対応用として「総合案内」を設置

(聞き手)
 発災時の対応や行動を教えてください。

(伊藤様)
議会事務局は、市の防災計画での組織的役割として、広報やマスコミ対応などを担うこととされていました。そのため、議会事務局職員5人のうち2人が避難所運営の担当にすぐに出ましたが、残った3人はマスコミ対応や報道などの役割をしていました。ただし、震災当日は災害対策本部に皆で詰め、情報収集に努めました。
その災害対策本部ですが、ここは市の方針を決める部門ですので、一般市民の方は入れないのですが、情報収集や相談、支援などでたくさんの方々が来られるようになりました。そうなると、本部機能の停滞が心配されましたので、市民の方々のための総合案内を別途設けることにしました。
震災の翌日から総合案内の対応をはじめました。震災当日から、避難者がとてもたくさん来られて、2階の廊下や3階にもいました。当時、6階は申告会場で、税の申告期間だったためパソコンを並べており、最初は避難者の方が入れられなかったのでパソコンを撤去して、6階も避難所に開放しました。議会フロアでは、全員協議会室や委員会室、廊下などに300人ほどがおり、その対応は私を含め、議会の職員3名で行いました。そして第一委員会室が小さい子どもさんを持っている方々、第二委員会室は妊婦の方、会議室は障害をお持ちの方の避難場所として振り分けました。そのほかは全部自由としました。最終的に避難者の方全部が移転し終わったのは15日までだったと思いますが、その間も保健師の方たちがミルクを作るためのお湯を持ってくるなど、その4~5日間は良い対応ができたと感じております。また子どもが夜泣きをするなどのことを配慮して、部屋ごとに振り分け、混在させなかったことも良かったと思います。

(聞き手)
避難者の方々の対応と総合案内とを同時に行っていたのですね。

(伊藤様)
市役所に避難された方々は、間もなく他の避難所へ移動することとなりましたが、総合案内は、議会事務局職員3人でローテーションを組んで、地域コミュニティ課と合同で対応をしておりました。他の避難所にいる避難者の問い合わせは、この総合窓口で対応していました。最初は、避難者名簿が各避難所から届かないため、市役所に避難している人たちの名簿だけになってしまいましたが、あいうえお順、住所順の2種類を早急に作りました。その後、順次、避難所からも情報が来たため、名簿作成に取り掛かり、図書館の方や職員のご家族の方なども手伝いに来ていただき、総勢10名くらいで名簿作成作業に従事しておりました。
なお、市が管理していた避難所以外に避難をされた方々がどこに避難したかという情報、つまり親兄弟のところや泉区の誰々さんのところにいますなど、そういう所に避難をされた人たちの名簿を作るところまでは情報収集が困難でなかなかできませんでした。そのような方々の避難先の問い合わせにお答えするようにすることはもちろんですが、市からの災害関連情報や被災者支援情報を本人にお伝えするためにも、避難所以外に避難されている方々の名簿を作成する作業にも取り掛かりました。何か連絡があった都度、また何か情報を入手した都度避難先の住所、名前、電話番号を書いていただき、それを入力して、そういう方の名簿を何百件か作ることにしました。しかし、窓口対応で精一杯だったために、十分な作業をできずにいたことから、事情を災害対策本部に現状報告し、こういう連絡先も必要なので導入を検討してほしいことや人を集めてほしいなど、今からの取り組みはどうあるべきかということをいろいろお話ししておりました。避難所以外の避難者に対する情報伝達を誰がやるのかなど、そういった連絡体制に関することを、本部とはよく話し合いました。

情報伝達や判断の困難さが引き起こす諸問題

(聞き手)
1階の総合案内は大変だったというお話はお伺いしているので、ぜひもう少しお話が聞ければ幸いです。

(伊藤様)
総合案内を開設して初めにトラブルになったのは携帯電話の充電の件でした。通話は繋がらないのですが充電はしておきたいと市民の方は思っておられたので、予想以上に充電を希望する方々がいて収拾がつかなくなりました。
すると、その混乱を防ぐため災害対策本部では充電サービスを一旦止めようかという判断になりました。しかし、充電待ちのお客さんがどのくらいいるのかを本部は把握できていないと思い、並んでいる数多くの方々の現状を伝えたらところ、改めて充電の延長をすることに決めました。しかし最終的な決定内容が、私のところに伝わらず、総合案内窓口ではどのように市民に応えるのかを示せない時間がありました。その件でもトラブルになりました。被災者や避難している方々の要望や支援してもらいたいものがどういうところにあるのかを確認するため、現場の意見や状況を災害対策本部に的確に伝え判断してもらう仕組みや体制を整備することはとても重要なことだと今更ながらに感じます。
それから、避難物資の服を洗濯した状態で持ってきてくださった方がいました。物資担当窓口のところへ、衣類や毛布、布団などを持って行ったとのことですが、一度着た物は駄目だと断られたとのことでした。発生からしばらくたって安定した時期であれば、新しい服が望ましいことは分かりますが、震災直後は靴なども濡れていて、それこそ乾いているものを着たいわけです。そのため、その方にここに置いていってもらえないかと頼みました。その服はすぐになくなっていきました。阪神淡路大震災の時には、古着を送られたら後でごみ処理するのが大変だという話が流布していましたが、本当なら震災直後は着る物もなく、寝ている人たちの毛布もないですから、その状況に応じた判断が必要だということを総合案内での対応を通じて学びました。
 ある時、避難してきた七ヶ浜町の男性に、はさみを貸してくれと言われました。そうすると毛布を4つに切り、子どもたちに分けていました。これにはとても感銘を受けました。このように、震災直後のときは極端に物資が不足してしまいます。
なお、市に支援物資を持っていったとしても受け取らないことを分かっていた方々は、庁舎外の道路のすみに段ボールを広げて、自由に持ち帰りをすることができるブースを作っている人もいました。
食糧品支援の受付は総務課担当だったのですが、大量の冷凍食品の提供という支援をしたいとの申し出がありました。この申し出をしていただいた業者さんは、目下停電のため現状では保管もできず、ただ捨てることになるため、避難所で使ってもらえないかというものでした。
 冷凍食品なので色々な物がありましたが大型のトラック1台分、2台分ということでも、全員に平等に配るには不足するし、また冷凍食品だけに保管する場所もありませんし、すぐに調理する給食センターが辺りにあれば受けられたのですが、私どもの給食センターは津波で使用ができなくなっていたので、結果として、申し訳なかったですが、お断りすることになりました。
ある小学校の震災当時の取り組みとしてPTAで食糧品を備蓄していたそうです。しかし避難者に対して全然足りなかったため、そのPTAでは、まずとにかく、子どもやお年寄りを優先に配ろうとしたら、周りは何も言わなかったそうです。あの震災当時は、全てが平等に提供できるものでもなく優先順位つけて当たり前であり、子どもやお年寄りに先に配って、余ったものを元気な人たちが半分ずつもらえば良いというような発想が大切だと思います。

(聞き手)
 当時の対応で上手く行ったことや、大変だったことはありましたか。

(伊藤様)
私は正直に言うと、地域防災計画や職員の行動マニュアルはこのような予想外の大規模災害ではあまり役に立たなかったと思いました。これは、市で行った「震災ふりかえり事業」で、地域との話し合いの場に参加したときの話ですが、私は新田中班として、被災していない地域の方々の話を聞きました。「津波の引いた後の現場に行ってみたところ大変な状況だったため、手伝いをしたかったのですが、何ら情報が入らないので、何をしたらいいか分からなかった。」という人たちの声もたくさん耳にしました。情報を遍く伝えることの難しさはあったのですが、被災地域で求めている支援の内容を被災していない地域の方々に伝え応援を募ることをできたらよかったという風に思っております。
また、常日頃の地域のコミュニティが非常に大変で必要だということが実感でき、この震災を契機に強く感じましたという声が多かったです。区長さんからいただいた意見として、区長さんと民生委員など限られた人だけで、1人暮らしの方の安否確認をしたとのことですが、個人情報保護の関係から、なかなか他の方々に教えることができず、その当時は限られた人しか名簿を持っていないというのもあり、それが要因で安否確認をするのに時間がかかったとのことです。国のほうも指針を変えて、緊急の事態に限って許可を出すという流れになってきたという話です。

(聞き手)
他の地区はどういう対応をされているのでしょうか。

(伊藤様)
他も一緒だと思います。ただし、津波浸水地域では区長自身が避難所に避難したため、安否確認それすらままならない状況にあったと思います。何れにせよ、マニュアルをあまり固く考えると動きが狭まってしまうと思いますし、個人情報など少しハードルの高い障害も柔軟に協議をしていかないと助けられる人も助けられなくなるのではないかと考えさせられます。今後の防災対策における問題や課題はこのようなところだと思います。

徒歩で避難するための道路の整備

(聞き手)
 多賀城市のこれからの復旧、復興に関して、要望や意見はございますか。

(伊藤様)
津波に重きを置いて話すと、津波の浸水区域から高台に逃げるということで、今、復興庁から承認を得て道路計画しているのが歩いて逃げる道路である清水沢多賀城線です。もう1本、東側に砂押川を渡る、自衛隊と隣接している笠神八幡線というのがあるのですが、それはまだ承認が出ていません。しかし逃げる道路というのはなかったため、住民の方も避難道路の2本はぜひ欲しいと言っているそうです。

(聞き手)
どちらも徒歩で避難するための避難道路なのでしょうか。

(伊藤様)
そうです。いずれそういう震災になったときには車で逃げると思いますが、片側歩道でも歩道がきっちりある道路を計画しますので、歩いて逃げるというのが原則にあります。砂押川の南側から砂押川を越えれば、ある程度、砂押川の堤防で津波は食い止められました。砂押川を越えてしまえば市役所も津波の被害があったと思います。そのため砂押川を越えて避難をするための道路が2本あれば、安心して住めるようになるのではないかと考えています。鶴ケ谷地区に災害公営住宅を計画しているのですが、その災害公営住宅を建てるのも、笠神八幡線という避難道路をつけることを絶対条件としてほしいと、住民の方から要望されています。

(聞き手)
 今回の震災の経験から、後世に伝えたい教訓はございますか。

(伊藤様)
今回の震災で1週間くらい停電になっていました。災害はいつ来るか分からないので常にそういう電気、水道などのすべてのライフラインが止まるということをしっかり意識する必要があると思います。
そのため、小さいガスコンロなどの備蓄品を、支援物資が届くまでの2日から4日は特に災害のため備えておく必要があると思います。また津波浸水区域の人は備蓄品などをすべて1階に置いておくと被害にあってしまうため、2階に保存することが大切になってくると思います。
今ではオール電化で電気が止まってしまうと何もできないからこそ、2日と言わずに3日から4日くらいは自分で生活できる環境を整えないといけないのではないかと思います。

「総合案内」を明記したマニュアルの必要性

(聞き手)
 今回の震災を通して感じたことはございますか。

(伊藤様)
とにかく市民にとって、市役所というのは、水道は市の業務ですが、電力やガスなどのライフラインのことも含めて、聞けば、なんでも教えてもらえるところだと思われがちです。しかし、実際は、市民からの問い合わせがあった都度、市役所からガス局、電力会社、電話会社に連絡をして、その内容を市民に伝えるしかできません。ガス局も電力会社もともに連絡がつかず、大変困った状況でありました。後に市の案内所に電力の人たちが来てくださって、あなたの地区はいつ頃電気が通りますというような情報提供をしてもらいました。
私たちがいた総合案内は市民の声を直接聞くところでもありましたから、とても大切なところだったと思います。そのため総合案内は急遽作るのではなく、その様に対応するということをしっかりマニュアルの中に入れ込むべきだろうと思っています。NTTで公衆電話は使えますとラジオで言っていたのですが、市役所の公衆電話のNTT回線自体が全部つながっていなかったため、使えませんでした。そこで、KDDIさんからの申し出で、優先でつながる電話を市民の方に利用してもらえるよう10台ほど置いていただきました。その優先電話は1人2分以内の利用に限るという話だったのですが、2分を越える人もいました。それに関しては目をつぶっていました。電話会社では100パーセントの利用枠を利用者に開放するのではなく、5%分の緊急枠が設けてありそうです。KDDIはその5%を被災地の市町村に配分して、困っている市民の方に提供し、さらに、つながりやすいよう、移動基地局も立ててくださいました。

(聞き手)
その優先電話というのは、たくさんの方が利用していたのでしょうか。

(伊藤様)
大行列で、携帯電話を紐で繋いでいたのですが、最後には1台盗まれたほどです。

(聞き手)
総合案内が重要な役割を果たしたということですが、今後の窓口のあり方というのは同じように1階に作ってすべて集約させるような形がいいのか、あるいはもっと別の分散させる必要があったのか、そこはいかがお考えでしょうか。

(伊藤様)
あまり分散させると、たらい回しになってしまいますので、分散の必要はないと思います。やはり窓口で対応する人も最初はよく分からないのですが、回数をこなすことにより、これはどこで担当していると分かるようになります。例えばこれは2階の生活環境課に行ってください、土嚢袋が欲しいならここ、石灰が欲しいならそこ、赤ちゃんのミルクが欲しいならあっちなど。他にも医療機関はどこが開いているなどの情報を、全部貼り出しました。
総合案内窓口は担当窓口をつないでくれるだけでもいいと思います。私は保健福祉部の担当や生活環境などの窓口を配置していても、市民の方は自分が必要としている部署がどこなのか分からないと思います。案内に来れば、担当窓口をご案内できます。窓口をたくさん作っていれば、良いサービスができるものでもないと思います。